大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和40年(行ス)4号 決定

相手方 高橋繁正

抗告人 東京陸運局長

訴訟代理人 上野国夫 外四名

主文

原決定のうち、抗告人に対し文書の提出を命じた部分を取消する。

相手方の文書提出の申立を却下する。

抗告費用は、相手方の負担とする。

理由

抗告の趣旨は主文と同旨であり、抗告の理由は別紙に引用する

とおりである。

原決定は同決定添付目録第二及び第三記載の各文書(以下本件各文書という)について抗告人が民事訴訟法第三一二条第一号により提出義務を負うことを認めたものである。よつて以下この義務の存否についての当裁判所の判断を示す。

同号の文書提出義務は、当事者が訴訟において特定の文書の存在を明らかにして自已の主張の助けとした以上、当該文書によつて証明されるべき事実関係が訴訟上重要性をもつ限り当事者が該文書を所持するときは、相手方より申立があればこれを提出せしめることが公正であるからである。即ち当事者は特定の文書の存在を有利に引用するのが普通であるが、このような場合一方においてそり当事者は該文書の秘密保持の利益を抛棄したものと解されると共に、他方において該文書の存在を根拠としてなされた当該当事者の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめる危険があるので、これを避けるため該文書を相手方の批判にさらすことが採証上肝要であると考えられるのである。

従つて右の立法目的と更に同条第二号第三号の文書が挙証者と所持者との関係においてその秘密保護の必要性が比較的少ないことを考えると、同条第一号の『訴訟において引用したる文書』というためには、当事者が該文書を証拠として援用する意思を持つていたか否かはこれを問わないにしても、少くとも当該訴訟中で積極的に該文書の存在に言及したものであることを要し、若しこれに反し当事者が所持する文書の秘密保持のため、従来訴訟において該文書の存在を主張しなかつたのに、裁判長より釈明があつたがためその所持することを認めたに過ぎないような場合はこれに含まれないものと解するのが相当である。けだし右後者のような場合には同条第一号の『引用』の語義からも離れるばかりでなく、文書を所持する当事者の秘密保持の利益を不当に害すると認められるからである。

ところで本件記録によれば、抗告人は相手方の免許申請に対し一定の審査基準を適用して評価をなしたこと、その結果は免許を受けた原決定添付目録第三(2) ないし(5) 記載の各申請者の評価に比し劣つていたことを主張している(昭和三九年二月五日付被告準備書面)が、右基準を記載した文書および評価採点表の存在については何等主張していない。ただ原審笛一九回、第二〇回の口頭弁論期日において右文書を所持することを認めてはいるが、それは裁判長の『所持しているか否か』の釈明に対する答弁にすぎないことが調書上明かである。このような場合は「訴訟において引用した」ものとは言えないことは先に述べた通りであつて抗告人は本件各文書について民事訴訟法第三一二条第一号による提出義務を負わないものと謂うべきである。

以上のとおり本件抗告は理由があるから、原決定のうち相手方の文書提出の申立を認容した部分を取消し相手方の右申立を却下することとし、民事訴訟法第九八条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官岸上康夫室伏壮一郎斎藤次郎)

抗告理由

一、原決定により提出を命ぜられた本件文書(いわゆる審査基準表示文書および採点表示文書)は、民訴法三一二条一号にいう「当事者が訴訟において引用したる文書」にあたらない。

(一) 同法条にいう「訴訟において引用したる文書」の意義については、抗告人(原審被告、以下単に被告という)が原決定添付の昭和三八年五月二日付および同三九年一〇月二一日付被告準備書面で述べたとおり、文書そのものを証拠として引用した場合すなわち文書所持人が当該文書を証拠として引用する意思を明らかにした場合に限るものと解すべきである。

(二) 右の場合、これを証拠として提出する意思を表示した場合に限ると解するのは狭きに失し、原決定のいうように、主張において引用した場合を含むと解するにしても、いやしくも同条の規定が民訴法上証拠(書証)の章節におかれており、文書所持者の意に反し、その秘密保持の利益をおかしてまでも、相手方の利益にその証拠として提出を命じ得るとした法意にかんがみるとき、同条号の「当事者が訴訟において引用した文書」というためには、補助参加人や証人の引用はもちろん含まず、当該当事者がある事実を主張し、その主張事実を裏付ける徴表として特定の文書--そのような性質内容の文書が存在するなら通常(経験上)当該主張事実の真実であることが推認されるような文書--の存在とその趣旨を主張して、これを引用した場合に限るものと解すべきである。すなわち、当事者が一たんその主張事実の徴表(証拠)として、これを裏付ける特定の文書の存在とその趣旨を主張した以上は、(それによつてある程度裁判所の心証が形成されると思われるので、)当該当事者が右の文書を書証として提出する意思いかんにかかわらず、これを引用したものとして、法所定の提出義務を生ずると解するにしても、ただ単に、当事者が文書の内容に相応する事実を主張したに過ぎないような場合--その主張事実の徴表(証拠)として特段に文書の存在を主張したのではたく、文書の内容に添つたことがらを事実として主張したに過ぎないような場合--は、これに該当しないものと解すべきである。

(三) ところで、本件の場合、被告は、原決定の指摘する昭和三九年二月五日付準備書面において、相手方(原審原告--以下単に原告という)の本件免許申請につぎ所掲の四項目の審査基準に照らして審査を行つたところ、所掲のような低い評価、判定の結果をみたのでこれを却下したという事実は主張した。しかし、ただそういう事実を主張しただけでその主張事実を裏付ける徴表としてかくかくの内容を記載した文書--原決定にいわゆる基準衷示文書ないしは採点表示文書なるもの--が存在すると主張し、これを引用したことは全くないのである。(いわんや右の如き文書を証拠として提出する意思を表示したことがないことはいうまでもない。)

もともと本件の場合のように、多数競願者のうちから限られた少数の優秀適格者を選定するにあたり、一定の審査基準をたてて審査すること、すなわち一定の調査事項を定めて各人につき調査し、その調査結果を一定の評価基準にてらして評価、判定するというのは常識的にいつても当然のことで、このような事実を裏付けるために必ずしも特に基準表示文書ないしは採点表示文書なるものの存在を主張引用する必要をみない。それに、いわゆる基準表示文書には前掲の四項目の基準のほかにも多数の基準調査項目が記載されており、かつ各項目についてその調査結果をどのような仕方で評価採点するか、また各項目間の評点割合いをどうするか等のことがらまで、記載されている。

被告は、本件訴訟遂行上必要と思われる範囲でやむを得ず原告申請の却下事由となつた前記四項目の審査基準に基く調査評点の内容を明らかにした。また重点的調査事項はあらかじめ公示して一般に知らせてもいる。しかし、いわゆる審査基準の全般、特に審査事項の調査結果をどのように評価するかのいわゆる評価基準の内容までを一般に公表することの当否については大きな疑義のあるところであり、現在までのところ被告はこれを公表しない建前をとつている。また、いわゆる採点表示文書は、申請人の前歴(前科)、財産状況、取引関係、雇用関係等諸種の私人の秘密に関係があるので、これを、みだりに外部に発表することは、公務員が職務上知ることのできた秘密を守る義務(国家公務員法一〇〇条)に違反することになるし、そのようなことをすれば行政庁に対する私人の信頼を失い、今後の調査事実の把握に困難をきたし、行政運営上大きた支障を生ずる恐れがある。したがつて被告は本件訴訟においても右のような審査基準表示文書ないしは採点表示文書なるものを証塾として提出する意向はもつておらず、被告主張事実を裏付けるための徴表(証拠)として、右のような文書の存在することを主張したこともないのである。それなのに原告は昭和三十九年六月一〇日付文書提出の申出書(第二回)をもつて、被告が事実として主張した前記四項目の審査基準を記載内容とした審査基準なる公文書と右四項目の審査基準に基き原告ほか四社の申請を審査した結果を記載した採点表なる文書の提出命令を申立てた。もちろん被告はそのような文書を引用したことがないのでこれを争つた。この提出命令の申立てが失当として却下さるべきことは明らかであると考える。

(四) 別の観点から考えてみよう。もともと民訴法三一二条一号に基く文書提出命令の申立には、提出を求める--すなわち当享者が引用した--当該「文書表示」のとその「文書の趣旨」と、それによつて「証すべき事実」を具体的に明らかにしなければならない(民訴法三一三条)。そしてもしその提出を命ぜられた当事者がそれに従わず、文書を提出しない場合の効果としては、裁判研は当該書に関する相手方の主張を真実と認めることができるとされているのであるから(民訴法三一六条)、その反面として、提出命令の申立においては、当事者が不提出の場合に真実と認められるべき当該文書に関する相手方の主張が明らかにされておらねばならない。そして右にいう真実と認めらるべき「文書に関する主張」とは文書の存否、成立の真否、その内容等についての主張であつて、相手方がその文書によつて立証しようとする「事実に関する主張」が右不提出によつて直ちに真実と認められるわけではない。そのような事実の真否は、真実と認められる相手方主張の如き趣旨の文書が存在するものとして--もしくは相手方主張のとおり、当事者の引用にかかるような趣旨の文書は存在しないものとして--裁判所がさらに自由な心証によつて判断すべきことがらである。

ところで、本件文書提出の申立についてみると、「文書の表示」として、(1)  被告の昭和三十九年二月五日付準備書面第一の(一)ないし(四)に記載された四項目の具体的審査基準を記載内容とする公文書としての審査基準表示文書、(2)  右審査基準に基き原告および所掲四社の申請について審査を実施した結果を示した評価採点表といい、「文書の趣旨」としては、原告および所掲四社に対する審査基準および審査結果を示すものとある。

(イ) しかし被告は、右の如き四項目の審査基準を記載内容とする公文尋の存在することを主張してこれを引用したことはたい。事実そのような文書は存在しない。もつとも前記のように、右四項目を含む多数項目の審査基準全般を記載内容とした文書は存在するが、もちろん被告はそのような文書の存在を主張、引用したこともない。従つて原告が提出を求め原決定がそれを容れて提出を命ぜられたいわゆる「基準表示文書」とは、果して右四項目だけの審査基準を記載した文書をいうのか、あるいは全項目の審査基準を記載した文書をいうのか、それともそのうち所掲の四項目の審査基準部分を抽出したものをいうのか判然しない(被告としては、最後のものであれば、その抽出が可能である限り、これを提出することに格別の支障を感じないが、審査基準全般を記載した文書を外部に発表することについては、将来の行政運営上に大きな危惧をいだくものである。)

(ロ) また、原告は所掲四社の申請について審査を実施した結果を示す評価採点表(いわゆる採点表示文書)というのも、かような文書の存在を被告は主張、引用したことがないので、具体的に果していかなる文書をいうのか必ずしも確定しがたい。けだし、被告庁の内部において右のように評価採点表というときは、適常、各聴問担当官がその調査を担当した申請人全員の採点結果を一覧表のようにまとめて記載した文書(これを作成した聴問担当官によつてその記載形式には多少の相違がある)をさすものと理解されるのであるが、広く、各聴問担当官が多数の申請人について聴問を行い調査を実施した結果を示す評価採点表示文書としては、担当官が調査を担当した各申請人の聴問関係書類にメ舟的に採点を書き込んだものや、各申請人別にその採点結果だけを記載したものも存し得るのである。(但しそれは各担当官によるのであつて、そのような文書が作成される例は必ずしも多くはない。)

被告としては右のような文書のいずれについても、その趣旨と存在を主張、引用したことがないので、果して原決定がいずれの文書の提出を命ぜられたのか判然しない。

(ハ) 以上のことはすなわち、被告が引用したことのない文書について提出を命ぜられたことの明らかな証左であるということができよう。同時にまた、原告の本件提出命令の申立は、民訴法三一三条所定の要件たる「文書の表示」「文書の趣旨」を明らかにしていないということもできよう。

(五) もつとも原審第一九回(昭和三九年七月八日)、第二〇回(同年九月二五日)口頭弁論調書には、被告は「原告の提出申立にかかる審査基準書及び評価採点表(原告ほか四社の各採点表)が被告の手許に存在することは認める」と述べた旨の記載がある。しかしこれは原告の右提出申立に伴う審理のうえで、原告ないし裁判所から右の如き文書があるかどうかを問われたので、事実に従い現に存在する旨を答えただけである。(但し採点を記載した文書は後記のとおり、当時既に存在していなかつたものであつて、被告はそれが現存することを認めたことはない。従つて、その点に関する右調書の記載は誤りであると思料する。)

原決定は、被告の右の陳述をもつて、被告は当該文書を引用したものとされているように解されるが、以上のような経緯において、被告がその主張事実の徴表としてある特定の文書の趣旨と存在を主張したのではなく、むしろ原告の方で、その趣旨において必ずしも明確とはいえない文書(被告の主張事実からすると通常存在するであろうと推測されている文書)の存在を主張し、その存否を尋ねられて被告が存在を認めたに過ぎないような場合にまで、これを当事者が訴訟において引用した文書とし、その者の意思に反してまでその提出を命じ得るというのでは、余りにも文書所持者の秘密保持の利益を侵することが甚しく、民訴法三一二条一号の解釈としてとうてい妥当し得ないものと考える。

二、提出命令にかかる文書のうち、採点表示文書は現存せず、被告はこれを所持していない。

原決定にいわゆる採点表示文書--被告の理解するいわゆる評価採点表は、原決定でいうように審査を実施した結果を記載した文書ではなく、被告が各申請人の申請を審査して免許の許否を決する審査手続上の事務処理の一過程において、右審査の便宜上、一つの目安とするため、各聴問担当官にその調査結果の評価採点をメモ的に記載して作成させたものあり、正規の文書でないので、当時(昭和三六年)全申請人に対する許否処分を終つて用済み後は格別の保存手続をとることなく、適宜廃棄されたものである。従つて被告の手許には現存しないものであり、その提出を命ぜられた原決定はこの点においても失当というべきである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例